2012年11月30日金曜日

#11はい、こんにちは

こんにちは。
石田さんから元祖妖怪糞漏らしと紹介があったベアー二年の川野友裕です。
正確には元祖ではないのですが、色々と話すと糞漏らしネタだけで日記が終わってしまうのでやめておきます。
日記を書くのは、高校の時流行った仲間内でホームページを作った時以来なので、何を書いていいか分かりません。が、考えた結果、僕の今までやってきたスポーツについて書こうかと思います。
興味ないと思いますが、読んでくれたら嬉しいです。

中学時代-バレーボール→バスケットボール
僕は実は中学一年生の時、バレーボル部に入りました。背は150そこそこしかなくとりわけ大きいほうではなかったのですが、先生の強い勧めで入部しました。しかし、バレー部は全然練習をしない万年一回戦チームでした。元々、ガッツリ部活をしたかったし、バレーボールは自分のやりたかったスポーツじゃないと思ったので、バレー部をやめ、隣のコートで真剣に練習しているバスケットボール部に入部しました。1年も終わりかけの時にバスケットボール部に入った僕は、ついていけるのか、チームに馴染めるのか、という不安ばかりが頭を巡っていました。しかしそんな不安もすぐに消えていきました。バスケットボールが本当に楽しかったからです。毎日、有志のみ集まって朝練、授業後は部活をし、6時に練習が終わると、知り合いの草バスケチームの練習に参加したり、高架下でやってるストリートバスケに加わったり、賭けバスケなんてのもしました。まさにバスケ漬けの毎日でした。チーム自体は強いチームではなかったのですが、全中予選では何とか四回戦まで勝ち進み地区ベスト16で終わりました。引退後はクラブチームから声をかけていただいて、クラブチームに所属してバスケを続けました。そしてクラブも12月に引退をし、バスケ生活が終わりました。

高校時代-スキー
バスケも終わり、完全燃焼した僕は遊びほうけていました。そんな時スキー部の友達と監督から誘われました。僕は小さい頃からスキーをしていて、中学二年生の時のスキー合宿で滑りを見ていた監督が入らないかといってくれました。まあ暇だし、てきとうにやってみっか、と軽い気持ちで入部を決めました。しかし軽い気持ちでできるものではありませんでした。アルペンスキー(旗が立ててあって、タイムを競うスキー。ダウンヒルになるとプロだと150キロまででる)ですが、種目としては、ジャイアントスラロームとスラロームの二種で、フリースキーをやっていた僕はアルペンスキーをしたことがなく、初めての合宿で相当落ち込みました。かなりの自身があったからです。上手い奴、速い奴なんてゴロゴロいる。完全に井の中の蛙でした。これは真剣に取り組むしかないと思い練習に励みました。元々フリースキー(基礎スキー)をしていたのでタイムはどんどん上がり、1年の最後の県大会はタイトル取れるんじゃないかというところまで来ました。しかし、大会前日、アップで足首が骨折し、救急車で運ばれました。骨折に加え、靭帯、脱臼もプラスされ、手術、リハビリ合わせて10ヶ月かかりました。シーズンは丸つぶれ。最後まで元の滑りに戻ることなく引退しました。もうスポーツは絶対に真剣にやらない、遊び程度にしか、特にスキーはもういい、そんなことを思いました。

大学時代
そしていろいろあって、今はアイスホッケーをしています。真剣にまたスポーツに取り組んでいます。ホントに難しいスポーツです。

と、こんな感じです。
三つのスポーツをやってきましたが、どのスポーツでも感じたことがあります。「上には上がいる」ということです。スポーツに限ることではないですが、本当に感じます。上手い奴より上手い奴がいる、自分がたくさん練習してると思ってもそれ以上に練習してる奴がいる、ということです。

今、1年の時練習しなかったツケが回ってきている気がします。
まだまだ練習が足らないので、練習して実力をつけ、試合に出れるように精進します。

長文だしかなり自己満な日記になってしまいすいません。柄にもなく真面目なことを書いてしまいました。いや、柄ですね。

では、次は現在上映中の映画「ホビット」の続編の撮影で多忙を極めている主演の要南欧人くんに回したいと思います。よろしく














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